見つめる音の先には

音楽家/バリトン歌手 春日保人のブログ

108年もの歴史的舞台にて

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先日、熊本県山鹿市にある国指定重要文化財「八千代座」で演奏する機会がありました。

八千代座は、参勤交代にも利用された豊前街道沿いに、明治43年、商工業で栄えた山鹿の旦那衆によって建てられた芝居小屋です。

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坂東玉三郎も毎年公演し、その1世紀の歴史の中では多くの舞台人が熱演を披露したことでしょう。江戸様式の歌舞伎小屋として「すっぽん」と呼ばれる手動のせりや、廻し舞台など建物的にも興味深いです。

 

そんな歴史的舞台で、母と共に三木稔の歌楽『鶴』と、徳山美奈子の「遣唐使随員の母の歌」を演奏致しました。

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九州地区神社保育講習会の講演で、「母と子 親子の絆」をテーマとしたプログラム。母の無償の愛を歌った2曲から、感じ取って頂けたら嬉しいです。

この素敵な舞台に立てることはそうそうないので、ついでに写真家ヒロさんに少し撮影してもらいました。いい記念になったなぁ。

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レコーディング秘話④

2015年10月、熊本で久しぶりに呉さんと共演する機会がありました。10年振りでした。

呉さんは日本の名だたる名オペラ歌手たちの伴奏で名を成し、Fiorenza Cossottoなどをはじめとするイタリアの黄金期を代表する名歌手たちとも舞台を重ねた人。両親の友人で、僕の物心ついた頃からしょっちゅう熊本の家に来ていました。学生時代にはよくレッスンをしてもらい、僕の音楽の根底には色濃く呉さんの音楽の影響があります。呉さんがいなかったら僕の今はなかったと言っても過言ではないと思います。

そんな呉さんですが、昔はよく弾いてもらっていましたが、僕が古楽を志し、すっかり共演の機会がなくなってしまいました。

しかし、その10数年振りの共演は刺激的でした。歌った曲はAstor Piazzollaの名曲 "Chiquilín de Bachín" とW.A.MozartのCosì fan tutteより "Rivolgete a lui lo sguardo" でした。僕が前日の夜に熊本入りし、1回こっきり通しただけ。それは共演というよりは、競演。いや、もはや試合といってもいいかも知れません。
普通はリハーサルの中で、「このテンポで、ここはrit.して…」など、言葉での打ち合わせをする事が多い中、呉ちゃんとは1回通した中で「ここはこうするのね。おっと、そう来たか?!」と言葉のない会話ができ、お互い駆け引きしつつ、音楽の中だけで全てを理解し合えました。
このエキサイティングな、まさに「音楽」という一瞬の中に、これほどの濃密な幸せという時間を感じたのは久しぶりでした。

それから、もう一度呉さんと向き合って「音楽」をしたいと思い、実現したのが今回のCD「ルーツ」です。僕の中では記念碑的であり、自分の原点、まさにルーツに立ち返り、そしてそこから更なるエネルギーを得る、そんなCDとなりました。

 

この時のピアソラは、もちろん今回のCDにも入っています。編曲と書いていますが、実は呉さんの即興です。全部で3回通しましたが、毎回変化し、その駆け引きは実に面白かったです。その内の1回がCDに収まっています。

これでCDのお話はおしまい。是非皆さま、手にとって聴いて下さい!

 

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10数年振りの共演

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レコーディング風景

レコーディング秘話③

前回は表向きの「ルーツ」について書きましたが、今回はライナーノーツにも載せていない、何故僕がこのプログラムで、しかも古楽ではなくピアノとのレコーディングに臨んだのかを書きたいと思います。

 

このアルバムをこれまでお世話になった方々に謹呈したのですが、古楽科で師事した野々下先生には見破られてしまいました。それは、今回選んだ言語が「日本語」と「スペイン語」であるという事です。

 

日本の西洋音楽受容史は、明治維新から発していますが、それより以前、一度途絶えてしまった流れに、安土桃山時代キリスト教伝来があります。特に九州はその影響が強い地域です。僕は九州は熊本の生まれであり、高校教諭であった若き父が赴任していた天草の崎津には、漁村のど真ん中に石造りの素敵な教会があります。

先日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界遺産への登録勧告があったようで、それを聞いてとても嬉しい思いになりました。

 

一時期は日本の古楽界でも、天正遣欧少年使節をテーマとしたコンサートが相次ぎ、僕もいくつかのアンサンブルで歌いました。スペイン・ポルトガルの文化は、知らないところで九州人に影響を与えており、当時は日本人による演奏もありました。

 

「ルーツ」の中には、言語における東洋と西洋の接点を、密かに表現しました。

 

そして、父が天草にいた頃、我が家には素晴らしいピアニストの呉恵珠さんがよくいらしており、父と三縄みどりさん、小川裕二さんの三人でジョイントリサイタルをしていました。僕も過分に呉さんの音楽の影響を受けたと思っています。そんな呉さんとレコーディングしようと思い至った話はまた次で。

 

つづく…

 

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レコーディング秘話②

この「ルーツ」というタイトルはたくさんの意味を込めました。

 

表向きは、「民族派」による作曲家の作品を集めたアルバムです。貴志康一は日本が西洋音楽を取り入れ、ヨーロッパに追いつけ追い越せとばかりに、猛烈な勢いで吸収していた頃、憧れでもあるベルリンフィルを前に、見事なまでの「日本」を西洋音楽の土台の元に花咲かせました。

 

また、早坂文雄は貧しい家庭の中で、独学に近い環境でピアノに触れ、映画音楽の中に生きる糧を見出しつつも、そこには常に純音楽たる思想を注ぎ込んだ人です。

 

そしてその環境は、どこかピアソラに似ているかも知れません。ピアソラもまた貧しい家庭環境の中、バンドネオンは好きになれないと思いながら生活の糧として演奏し、バッハ等に傾倒しつつも、結局はタンゴの中に自分を見出しました。

 

ファリャ。今回のアルバムの作曲家の中では、クラシックの音楽史に燦然たる名を刻んだ人ですが、その作風にはこれまでの歴史が築き上げてきた音響に対して、民族的要素と、新音響学を基盤として作曲をした人です。早坂文雄は、このファリャの作品を模範とし、研究していました。

 

これが一見バラバラに見える4人の作曲家における共通する部分です。

 

つづく…

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©︎Naoko Nagasawa

レコーディング秘話①

さて、これから数回に分けてこのアルバムのレコーディングに当たっての経緯と、考えていたことを書きたいと思います。

 

そもそも僕のレパートリーは古楽を中心としており、大学院も古楽科を修了しています。これまでの参加CDもそのほとんどが古楽です。

ではなぜこのCD「ルーツ」で貴志康一早坂文雄、ファリャ、ピアソラ、ガルデルを収録することになったか。振り返ってみたいと思います。

 

芸大大学院古楽科の勉強会で、師匠である野々下由香里先生の発案で、珍しく日本歌曲を取り上げた会がありました。これは面白い、せっかくならば古楽的視点から日本歌曲を演奏しようと、平井康三郎の『日本の笛』を取り上げ、西洋音楽を取り入れた邦人作曲家が、日本的な旋律、民謡をどのように扱ったかに焦点を当てて歌いました。

その後、立ち上がったばかりの芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカの第2回公演で、信時潔作曲 交聲曲《海道東征》に出演し、戦後初となる復活公演でバリトンソロを務めさせて頂きました。この時のライブレコーディングがCD化されております。

 

思えばこの頃、自分が歌う作品へのアプローチの根底が形成されたのでしょう。

 

つづく…

 

 

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オーケストラ・ニッポニカ 第2集 https://www.amazon.co.jp/dp/B000L43Q2E/ref=cm_sw_r_cp_api_i_5gC8AbPT7CMS7