見つめる音の先には

音楽家/バリトン歌手 春日保人のブログ

演奏すること × 教えること

現在、演奏活動に加え、教える事が多くなってきました。受験生を始めとする声楽個人レッスン、合唱指導、そして大学での授業。
そこで感じたことは、演奏家でいることと、指導者でいることの関係性です。

最初に結論を述べると、「演奏と指導は両輪である」ということ。

当然といえば当然ですが、このバランスが崩れると、僕の場合どちらもうまくいかなくなるという事に、ここ近年気付きました。

 

最初に声楽のレッスンを始めたのは、おそらく2007年だったと思います。僕が30歳の頃です。当時、まだまだ演奏家駆け出しの僕が指導なんておこがましいと思っていましたが、レッスンを始めると、意外に気付かされる事も多く、レッスンをしながら自分の歌も見つめ直し、生徒と共に自分も成長していきました。
それ以来、毎年1,2名の受験生を教え、これまでに東京藝術大学に7名、日本大学芸術学部に4名、国立音楽大学に2名、千葉大学教育学部に1名と進みました。
現在その生徒の中には、東京藝術大学大学院に2名も進学するほどに成長してくれています。

これまでは演奏をしつつ、傍で受験生のレッスンという形でした。しかし、ここ近年は大学でも教えて始め、レッスンと演奏というバランスに授業というものが加わってきました。
ところが、演奏の比重が減ってくると(大学業務の忙しさもありますが)、指導にも悪影響が出てくることに気づきました。

 

僕の指導法は、言うならば自分を実験体とし、実際の演奏で試したり、感じたことをそのまま伝えるというもの。できあがった経験を基盤としながらも、その惰性で教えるのではなく、常に経験を新鮮なまま(?!)伝えていました。生徒と同じ立場で自分は歌う際にこう感じるんだけど、君の声ではそれをどうすれば感じることができるだろうかという、自分探しが生徒の成長に繋がり、生徒と一緒に探すうちに自分も成長しているという関係性が出来ていました。

しかし、自分の演奏が減ると、指導のアンテナが徐々に鈍っていくように感じました。自分の演奏会やリハーサルの前後は、生徒の声を聴いて、どうしてできないのか、どうやったらできるのか、演奏への姿勢や視点なども研ぎ澄まされていきます。
更には、その指導を経て自分もそれを確認し、出来るようになっていくというように、正に演奏と指導の両輪で、バランスよく前に進んでいくのです。

 

どうしても教育の分野に入っていくと、自分の成長も止まり、実体験の乏しい変な先生チックになっていきます。そうすると、演奏も平凡になるばかりか、実は返って教育にも悪影響を及ぼしていくと思います。

自分の為にも、生徒の為にも、はたまた学生の為にも、常に自分のアンテナを研ぎ澄まし、演奏と指導の両輪をうまく走らせ、生徒と共に高みへ目指していきたいと思いを強めているこの頃です。